長春中心地より北東に位置する博物館。 ラストエンペラー溥儀の偽満州国での政治の中心地。 北京の故宮を追放され、なおも皇帝としての地位を欲した溥儀の 日本関東軍に操られた傀儡政治の現場。 また、ここは溥儀の生活拠点でもあり、 書斎・寝室など、当時の生活を再現。 さらに偽満皇宮博物館の隣にある東北渝陷史陳列館では、 偽満州国を中心に中国の戦争の悲劇が展示されています。 長春最大の観光名所。 中国の歴史・文化に興味のある方にお勧めのスポットです。 公式HPはこちら⇒ 長春市中央より、264路バス「偽皇宮」下車、 または長春駅よりライトレール「偽満皇宮」下車。 (バス・ライトレールの検索方法はこちら⇒) 【開場時間】 8:30〜17:20(夏期)/8:30〜16:40(冬期) (東北渝陷史陳列館と合わせて4時間程度。) 【料金】 入場80元+日本語ガイダンス20元 |
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博物館出入口にあるチケットセンター 外国人のくる観光地だけあって、 スムースにチケットが購入できます。 | チケットは80元/枚。 ハガキにもなっているので記念品に。 | 日本語ガイド 20元/個 保証金100元は見学終了後に返却。 機種により受信感度がバラバラ不具合時はリセット(イヤホンを抜き、スタートボタンを押す)しましょう。 |
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案内表示板に従って入口へ。 チケット売場横の出口から入らないように注意! | 保康門でチケットの半券を切って入場。 ガイドもここからスタートします。 | |||
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溥儀も実際に遊んだ乗馬場。 | 夏は馬がいるようですが、 冬は雪が積もって閑散としています。 | 1周20元/人・1時間280元/人 お得な会員割引もあるようです。 |
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乗馬場周囲の見どころ「満族風情展」 | 乗馬場周囲の見どころ「馬小屋」 | 乗馬場周囲の見どころ「フラワーハウス」 | ||
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表側。皇帝のシンボル「ランの花」の紋章。 また、門に描かれている龍は皇帝の証。 | 裏側。9:10で止まっている時計。 溥儀が長春から逃げる時間で、 時が止まっています。 | |||
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宮内府。 偽満州国の政治の中心地。 | 「宮内府次長事務室」。 偽満州国では宮内府大臣の下に日本人次長を置いていた。次長は名義上は大臣の補佐であるが、人事・財務等のすべての行政権を持ち偽満州国政権を制御していた。 | 「総務処処長事務室」。 総務処は職員の監督・指揮をする。各書類の保管や、宴会・賞与および職員の任免・賞罰等の事項を管理していた。 |
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「内務処処長事務室」。 大臣の命を承り、職員の監督・指揮を行った。建物の新築・修繕、経理、仕入れと保管等の事項を担当した。 | 「宮内府会議室」。 | 「宮内府大臣事務室」。 宮内府大臣は皇帝や帝室の事務管理や、帝室令の制定・訂正を行った。しかし実態は日本人次長が宮内府のすべての権力を握っていた。 |
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暢春軒 溥儀の四番目の妹と五番目の妹の居室 | 植秀軒 | 親王の寝室 |
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教室 譚玉齢に文化知識・封建礼教を教えるため、専任教師を雇った教室。 | 食堂 溥儀が夏場に使用した食堂。時に宴を開き、琴や太鼓を奏で、傀儡皇帝の不満を発散させた。 | 応接間 溥儀の庭遊びの後の休憩地。時々、家族と集まり雑談をした場所。 |
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内延学生教室 溥儀が腹心を育てるため、皇族を集め、文化・軍事などの知識を勉強させ、個人武装をし、清王朝の復活を企んだ場所。 | ||||
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緝熙楼 名称の意味は「時々刻々清王朝の回復を忘れない」。溥儀や(皇后)婉容・(妃)譚玉齢が住んでいた。目の前の石碑は「9.18を忘れるな」と刻まれている。 | 写真館 溥儀・婉容・譚玉齢の写真。 | 譚玉齢の寝室 1937年に溥儀と結婚。溥儀に愛されていたが1942年22歳の若さで急病にかかり死去。 |
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譚玉齢の応接間 元は溥儀が食事をした食堂を、1937年以降、譚玉齢の応接間に改造。溥儀の妹達はよく来訪し、譚玉齢と雑談した。 | 譚玉齢の書房 元は溥儀の書房。1937年以降、譚玉齢の書房に改造。読書・習字だけでなく、琴を弾いたりした。また、溥儀に生活用品を編むこともあった。 | 婉容 自由を失い、精神分裂症にかかった婉容の喫煙室。毎日タバコ85本、100gのアヘンを吸ったといわれている。婉容の蝋人形が展示。 |
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婉容の応接間 西洋知識豊富・英語堪能、琴・書画ともに優れた婉容の応接間。しかし、アヘン中毒となった婉容に、来訪すべき客はいなかった。 | 婉容の寝室 結婚以来、一度も溥儀とベットを共にしなかった。その寂しさを紛らわすため、溥儀の家来と浮気。その結果、溥儀からの愛は無くなった。 | 漢方薬房 幼少時代から体の弱かった溥儀が、脈をはかり、栄養補給する場所。漢方薬や西洋薬剤を保管した。 |
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溥儀の寝室 1932〜1945年まで溥儀が住んでいた場所。溥儀は遅く眠り晩く起き、一年中タオルケットを掛けていたといわれている。 | 溥儀のトイレ 溥儀は、毎朝起床後、便器に座り、当日新聞を読んでいた。 | 理髪室 日本人理容師が溥儀の頭髪を切った。頭髪は、絹に包まれ保管された。 |
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溥儀の仏堂 神仏信仰は清朝歴代皇帝の伝統。溥儀は寝宮殿に仏堂を置き、祈りをかかげた。 | 溥儀の書斎 読書・習字の場。吉岡安直の指導を受け政治活動を行った場所。蝋人形の展示有り。 | |||
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中和門 | 日本憲兵室 偽満州国皇帝の安全保護の組織。常時3〜5名の日本人憲兵が居住。しかし、本当の目的は、溥儀の行動を監視し、日本関東軍に報告するための組織だった。 | |||
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勤民楼 溥儀が清王朝復活の大志を示すため「天を敬い祖を則り政に勤め民を愛す」という清王朝の家訓より命名。政務・式典・来賓接待・宴会を行った。 | 勤民殿 正殿。溥儀が儀式を行う場。1934年3月1日に溥儀が第3回の即位式典を行い、偽満州国の傀儡皇帝をつとめた。 | 西便殿 偽満州国初期、溥儀が政務に勤めようと勉強した場。しかし、偽満州国後半、植民地化されるにつれ、溥儀は自分に価値がないことを気づき、勤民楼へ行かなくなった。 |
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第二待合室 溥儀に会う簡任一等文官・中将武官の待合室。 | 第三待合室 当時の溥儀たちの衣装が展示されている。 | 待衛処 執政府に待衛官を付設。待衛官の部屋。皇帝の安全保護・式典の護衛を担当した。 |
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吉岡安直の事務室 日本関東軍の高級参謀「吉岡安直」。溥儀の言行を監視・制御した。 | 第一待合室 溥儀に会う特任文官や上将武官の待合室。 | 仏堂 溥儀の祖先の神仏を祭る場所。 |
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賜宴殿 即位式典・祝日・祝典の後、溥儀が偽満州国の高官に宴会を賜る場所。 | ||||
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懐遠楼 溥儀が自身の封建帝王専制を固めようと夢見た建物。祖先の位牌や写真を備えている。 | 近待処 偽満州国が皇帝の医療・食事の管理をする場所。 | 帝室会計審査局 主に帝室会計審査を行った場で、偽満州国が帝制を実行した後につくられた。 |
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侍従武官所 武官長が陸軍大将・中将へ命令を伝達した場所。 | 清宴堂 重要な祝日に溥儀が宴を設け、日偽高級官使を招待した。偽満州国の重要な美術品を溥儀に鑑賞させた場所。美術品は現在も展示されています。 | 尚書府 政治文章の使用・管理を行った場所。尚書府の大臣が担当していた。 |
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奉祖殿 清朝復活を忘れなかった溥儀が、先祖の肖像画も備え、祭日にお参りした。 | ||||
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嘉楽殿 溥儀の生まれてから亡くなるまでの人生を紹介した展示。 | 清朝の歴代の皇帝年表 | 溥儀の肖像 | ||
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幼少時代の溥儀のおもちゃ。杯を満水にするとひっくり返る仕組み。これにより、多くを望むと失敗するということを学ぶ。 | 幼少・清朝皇帝・故宮追放・天津生活・偽満州国皇帝即位・牢獄時代など、各セクションごとの溥儀の状況を展示。 | 偽満州国皇帝としての三度目の即位の紹介 | ||
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蝋人形の展示。奥にいる溥儀は、手前の日本関東軍に操られ、傀儡政治を行っていた。 | 日本敗戦直後、偽満州国解体により国を追われた溥儀のロシア捕虜になるまでの紹介。 | 蝋人形の展示。捕虜時代、牢獄の中の溥儀の様子。 | ||
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政治犯としての服役を終え、公民となるまでの紹介。 | 蝋人形の展示。皇帝から公民へ。北京で勤務する溥儀。 | 蝋人形の展示。溥儀の最後の公演。以後、老衰し、生涯をとじる。 | ||
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同徳殿 溥儀と妃のために日本人が設計した建物。しかし溥儀は日本関東軍の盗聴を恐れ住まなかった。 | 博物館の説明。溥儀の写真が展示されている。 | 溥儀の客間 溥儀が非正式に日偽高級官使と会見した場。 |
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溥儀の寝室 日本関東軍の盗聴を恐れ、一度も使用しなかった。 | 李玉琴の寝室 皇后の部屋として李玉琴にこの部屋を使わせたが、溥儀が一緒に寝ることはなかった。 | 李玉琴の客間 元は婉容の客間だったが、溥儀に嫌われた婉容はこの部屋は使わせてもらえなかった。 |
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日本間 日満の関係を表すために日本式の部屋を作った。溥儀はここで吉岡安直と会見し日本料理をともにした。 | 便見室 溥儀が定期的に日本関東軍と会見し、偽満州国の様子を話していた。 | 中国間 部屋の中すべてが中国伝統の家具。溥儀はここで休憩をし、皇族や清朝旧人と会見した。。 |
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ピアノ室 北京故宮にいたときピアノが弾けるようになった溥儀のため、ピアノ室を設置。溥儀はここでピアノを弾き傀儡政治のストレスを発散させた。 | ビリヤード室 ビリヤード好きな溥儀が宮廷の学生とビリヤードをやって時間をつぶした。学生たちはわざと負けを認め溥儀の機嫌を取った。。 | 映画ホール 溥儀がときどき家族と日本の侵略戦争を美化した映画をみた。 |
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叩拝間 祝日に溥儀が家族・皇族など、身近な人にお礼をした場所。 | 広間 溥儀が祝日や誕生日に官使から祝福を受けた場所。。 | |||
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ガーデン 溥儀が休憩時に休んだ庭。 | ガーデン内の丘の上の祠。 | 建国神廟の遺跡 日本式の木造神社。日本天照大神を偽満州国の建国元神とし東北人民に強制させた。溥儀退位後、日本関東軍により放火された。 |
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プール 西洋文化を受け皇居内に設置。しかし溥儀が泳ぐことはなかった。 | 防空壕 1939年建設。溥儀及び家族が空襲を避けるための鉄筋コンクリート製。偽満州国末には溥儀や家族はここで非難した。 | 防空壕内の廊下。 | ||
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防空壕内の部屋。 | ||||
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列車の模型。 | お土産降り場では、偽満州国グッズのほか、お茶や中国雑貨、ロシア雑貨が販売されています。。 | お土産売場はチケットを購入しなくても出口から入れます。出口でガイダンスを返却します。 | ||
偽満皇宮博物院 http://www.wmhg.com.cn/ |
偽満皇宮博物院の公式HP(日本語有り) |
偽満皇宮 http://www101.sakura.ne.jp/~gogogo/china/dlc_she_cgq/cgq_palace.html |
写真とともに偽満皇宮を紹介。各国各地の旅情報を掲載。 |
広州ヒロさんの旅行ブログ http://4travel.jp/traveler/441632/album/10325654/ |
長春の旅行記。チケットを買うところから写真付きで紹介。 |
中国大連生活・観光旅行ニュース http://ameblo.jp/dalian-okoshi-yasu/entry-10549473889.html |
長春の旅行記。写真が奇麗に撮れておりイメージがつきやすい。 |